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継承するもの、変容すること。
桂春院 × neutral
2022年6月2日 〜 4日
会場 桂春院(京都市右京区)

脈々と長く受け継がれてきたものの中に、

変化を受け入れてきた姿勢を見ることがあります。

 

それは意図せず変わりゆくものに、

美意識を見出した侘び寂びの精神だけではなく、

歴史を紡いでいく中で起きたであろうあらゆることを

受け入れてきた調和の心のようなものです。

 

寛容さとも言えるその精神を

ここ桂春院に感じたとき

わたしは少しの抗いとともに

その内側に触れてみたいと思ったのです。

 

 

neutral  北嶋竜樹

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01  光の滴

もてなしの心は、そっと行われ、はっとするからよいのです。日本の美の精神はどこまでもそのさりげなさの中にあるのです。

出西窯鉄釉小皿:昭和時代

02  うつろい

きっぱりと線を引いて分けることができないからこそ、いつの時代も季節に耳を傾け、意識を向けてきたと思うのです。儚さと力強さが混じり合い、そっと身体に溶けていく感じはいつだって美しい。

溜漆菓子皿:江戸時代

03  食べたい

何かを実現しようとするそのエネルギーはいつの時代も心踊らされるものです。人は禁止されると侵犯するのが常であるとバタイユは説きましたが、枠組みの中で知恵を絞った成果は正に修行の賜物であります。

焼き締め中鉢:二階堂明弘

04  やっぱり食べたい

なんだか無性に食べたくなるものって、いつの時代も似ているんじゃないかしら?ふとそんなことを考えていたら、勝手に手が伸びていた。ね、そういうことでいいじゃない。うんうん、きっとそう。だって最古の食べ物らしいから。

焼き締め汲み出椀:明主航・中井波花

05  侘び

素材の探求は、そのものをよく理解することから始まります。食べることと作ることを等しく重要な仏道修行とした道元禅師は、食に向き合う中から様々な気付きを私たちにもたらしました。

白磁平皿:山本亮平

06  思椎

制約がある中で生まれるクリエーションは、何かの代わりというよりは、それそのものをどう捉えて、どういった展開を望めるのかを思案する頭の柔軟体操のようなものであります。

くらわんか古伊万里膾皿:江戸時代後期

07  見立て

小さく切り取りたいと思うのは、目の届く範囲に収めたいという願望からやってきますが、日本の見立て文化の面白いところは、単純な転換や縮小化ではなく、目に映らない景色をどう取り込むかという精神性に重きを置いているところにあります。それこそが見立ての美学であり、侘び寂びの心であります。

本漆大平椀:明治時代

08  誘惑

あなたは甘いもの苦手って言うけれど、みんな甘い誘惑には勝てないじゃない。ねぇねぇどういうこと? 説明してもらえるかしら?

プレスガラス小皿:明治時代

後記

わたしが精進料理の研究をする理由に、「時が止まっている」という点があります。精進料理はかつてそこにあったという”過去の産物”であり、今現在において進化を続けてきたものではありません。日本料理の源流だとか、和食・懐石料理の原形だと言われる精進料理ですが、その真相を深く語る者は多くはいません。また非常に文献が少なく、日本のナショナリズムの復興に利用されてきたという側面はあまり知られていません。今回この桂春院での開催にあたって、精進料理にフォーカスしたのは、宗派こそ違えど禅寺という特性上親和性が高いことと、継承だけでなく現代にその精神を蘇らせたとしたら一体どんな景色が見えるのかということを私自身が体現してみたいという抗いから生まれました。私は精進料理の継承者ではありませんし、正統な後継者でもありません。しかしその精神を受け継ぎ進化させていく必要性を感じている今、ここで私が現代に生きる精進料理を作らなければならなかったのです。

(会を終えて)2022.6.10 neutral  北嶋竜樹

今回この場所でのインスタレーションの実現にあたり、尽力してくださった滋賀近江八幡にある料理旅館・旅籠八...のオーナーである吉田尚之氏と、桂春院の安楽島副住職には改めて感謝申し上げます。会の始まりは吉田氏による煎茶から始まり、最後は副住職自らが抹茶を点ててくださいました。

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