狐明歴々地
STARDUST × neutral
2022年7月8日・9日
会場 STARDUST   (京都市北区)

どうして夜は光を奪うの?

 

夜は光を食べて生きているからよ

 

じゃあ夜は光の天敵ってこと?

 

いいえ、夜は光がないと生きていけないように

光もまた夜がないと生きていけないものなのよ

 

夜空を見上げてごらんなさい

お星様がキラキラと輝いているでしょう?

 

あれはね夜が食べた光の欠片

 

夜が闇に包まれるから

お星様は輝く光を放つことが出来るのよ

光を奪われた闇の世界では

太陽という大きな星でさえ

夜は光をまるっと呑み込み

あっという間に闇の世界へと誘います

 

真っ暗な暗闇の中で

無数に輝くお星様

 

名前も知らない

美しい星々に

ぼくは名前をつけることにした

 

 

STARDUST

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君はだれ?

名前は?

 

町に出れば

毎日誰かと会うけれど

 

いつものパン屋のあの人も

スタバのかわいいあの娘だって

満員電車に揺られているおじさんや

妊婦さんに学生さんも

 

 

ぼくは誰一人として

名前すら知らない

 

 

互いに何にも知らなくても

世界はいつも通り過ぎていく

 

別に何も知らなくたっていい

知ることにそんなに意味はないんだ

 

だってあなたも

そこの君も

僕のことを知らないだろう?

 

僕だって知らないさ

あなたのことも

君のことも

名前なんておまけみたいなもんさ

 

何にも知らなくても

君の人生は君のものだろ?

 

僕の人生だって僕のもの

知らなくたって存在している

 

よく見てごらんよ

瞼の中にだって見えるでしょ

 

キラキラ輝く無数の星たちが

 

それはね、君の中にある宇宙だよ

 

どうだい?

もう夜が怖くなくなったろう?

 

夜は決して怖くない

闇は恐れるものではない

 

闇は光を孕んでいる

 

僕らはいつだって

光を纏い、夜を駆け

名もない宇宙の星になれるんだ

後記

 

今回STARDUSTで開催するにあたって、私の中で核となる部分に「全体性」というキーワードがありました。STARDUSTは天空一面に広がる無数の星々のことを意味する言葉ですが、光を放つ星の一つひとつにフォーカスするのではなく、散りばめられた星屑全体を見ることで、光を放つ一粒一粒が、大きな集合体である星屑という全体に影響していることがわかります。

私たちはそれぞれの個であり、大きな全体の一部でもあります。人はミクロな視点から物質的な追求をすることで個の存在意義を見失いがちですが、個は既に全体を象づくるという大きな役割を果たしており、その時点でそれらの考察に大きな意味がないことに気付かされます。

今回のタイトルである「狐明歴々地」という言葉は禅語で「それぞれの場所から光り輝く」という意味をを持ちますが、それは正にSTARDUSTが放つ普遍的な光のようであり、個が集合した「全体性」を表した言葉であるとわたしは思うのです。

 

 

(会を終えて)2022.7.15 neutral  北嶋竜樹

孤明歴々地

孤明歴々地とは、中国禅宗の一つ臨済宗の開祖臨済義玄の言行をまとめた「臨済録」に書き記されており、仏と魔についての話の中に出てきます。魔とは仏性を備え持つ自身の心を疑い信じないことであるとし、仏について「道流、即今面前孤明歴歴地(れきれきじ)に聴く者、此(こ)の人は処処に滞らず、十方に通貫し、三界に自在なり。」と示している。この言葉は、「今わたしの言葉を目の前で輝きをもって聴いている者」という意味で、これはあらゆる処に滞らず、十方の世界を貫いて自由である。という意味であります。どんな世界においても自由であることとは、己の中にある仏性(光)を信じ輝いていることだと説いた言葉です。

 

禅宗は悟りを開く事が目的とされており、知識ではなく、悟りを重んじています。禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいい、これは正にわたしが食のインスタレーションにおいて実践していることそのものであります。仏性というのは「言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力」のことであり、情報に頼らず自身の内側に描いたものを、ありのままアウトプットすることで、そのひとつひとつが光を纏い輝きを放つのだとわたしは思っています。