INSTALLATION

人の思考や感覚は " 味覚・嗅覚・視覚・聴覚・触覚 " の五感から通じた情報から知覚され、そこに記憶という曖昧さも加わり形成されていきます。そしてその自覚的な体験を通して生まれた思考や感覚が、言葉や活動として現れ、身体の外側へと流れ出ていきます。

本来食べるという行為は、身体の外側と内側を繋ぐインターフェースのような役割を果たし、”自覚的”に私たちは様々なことを感じ取れる優秀なツールを持ちあわせているにも関わらず、現代における食事において、そのほとんどを機能することなく、受動的な体験に知らず知らず身を任せてしまっているのです。

 

あまりにも食事における体験が、「美味しいか美味しくないか」という事象に拘りすぎていることに疑問を感じたわたしは、食事という行為の中に美味しさだけを求めるのではなく、いかに食べることが心身に多くの影響を与えているのかということを、身体的な感覚で体験してもらうことで、食の新しい価値や在り方を、さまざまな視点の広がりの中で感じてもらうことが出来る制作を始めました。

 

わたしはこの体験を「食のインスタレーション」と呼んでいます。これは美術におけるインスタレーションの定義を踏襲した上で、全く新しい定義でもあります。インスタレーションにおいて、どのような空間で、どうやって体験者が作り手の装置に触れるのかということはとても重要な役割の一つです。展示空間を含めて、その空間の中で行われる様々な現象が、その作品の意図や意味を表しているので、どの空間にどういった装置を設置し、どう体験してもらうのかということが、作り手にはとても重要な要素となりますから。その点で、わたしの作るインスタレーション作品に存在する空間は、どこそこのどんな空間ではなく、体験者自身の身体の内側のことを指します。そして食べるという行為そのものを、外側の世界と内側の世界を繋ぐインターフェース(装置)とした作品です。

 

 

この作品の最大の特徴として、作り手であるわたしが、装置を通過した先にある「内側の世界」を物理的には見れないことです。つまりわたしは自身の作品を自身の目によって確認することは、その時点では出来ないのです。このインスタレーション作品を客観的視点から鑑賞するためには、わたしが意図し制作した「強い文脈」による料理を、装置を通過した体験者そのものが語りべになって初めて輪郭をなぞることが出来るのです。「弱い文脈」が連なることで、この作品たちは外側の世界へと現れ、鑑賞することが出来るのです。それこそがわたしの定義する「食のインスタレーション」であるのです。

​インスタレーションという在り方

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